海幸彦
海幸彦インタビュー
檍第一漁業生産組合 責任者 濱田 勉氏

■濱田さんは昭和14年生まれ。長年ちりめん漁に出ていたそうですね。
宮崎沿岸のちりめん漁、歴史は長いんでしょうか?

私は22歳から約20年間、ちりめん漁の船に乗っていました。大正4年に私の祖父が地引網を始めて以来、うちは漁業を続けていますが、現在のようなちりめん漁は県から許可をもらった昭和30年からですね。

■ちりめん漁はどんな形で行われるんですか?

網を引く15トン程度の「網船」2隻、7トン程度の「運搬船」1隻。必ずこの3隻で漁をします。3隻で1ヵ統、宮崎漁協は6ヵ統のグループがあります。
夏場は7時、冬場は7時から7時半ごろに一斉に出港します。漁場は、南は子どもの国沖、北は一ツ瀬川河口あたり、沖は水深40メートル位(水平線)まで行きます。
2隻で引く「船曳網(通称パッチ網)」は、長さが300m以上あり、ちりめんが入る先端部分は網目が2mmほどの細かいものです。水揚げは、先端の袋網だけを引き上げ、運搬船がちりめんを港まで運び網船はひきつづき漁を続けます。
※宮崎漁協は、檍第一漁業生産組合、赤江第一漁業生産組合、赤江第二漁業生産組合、株式会社木花水産、赤江灘漁業生産組合、木花漁業生産組合の6ヶ統。

漁に使う袋網。次第に目が細かくなっていく

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