4月19日、本県かつお船が水揚げ基地として毎年訪れている気仙沼港に向かった。
港へと続く町並みは破壊されており、自衛隊の方々が行方不明者を捜している場面に遭遇し、現地の悲惨さをあらためて痛感した。
気仙沼港のシンボル「海の市」が見えた「ああ、無事だったか」と思ったが、 1階部分は車が突っ込むなど、津波により破壊されていた。
水揚げ岸壁を左に見ながら商店や加工場、民家が建ち並ぶ見慣れた道路はすでになく、埠頭先端へと向かう道は盛り土された復旧道路がガレキの中を縫うように造られていた。
12基の石油タンクが並んでいた埠頭先端部は、ただ1基も残すことなく壊滅しており、生々しい残骸が横たわったままである。
数百トンもある大型まぐろ船が打ちあげられ、冷蔵庫に突っ込んで止まっている映像を何度も見た。「ここだ、この船だ。」そこに粉々になったガレキを片付けている人がいる、話を聞きに行くとなんと知人の菊田氏だ、顔をみた瞬間目頭が熱くなった。埠頭冷蔵庫で津波を逃れ、防寒着を重ね着して海水に浸かりながら本社まで逃げて救助されたらしい。「必ず復活するから」優しい笑顔の中に強い決意が感じられた。
想像もできない甚大な被害にあった港周辺にあって何とか残っている市場建物の3階に漁協、商工会など地元関係者に集まっていただき、気仙沼市場の再開に向けて意見交換をおこなった。「こまっちゃん」(小松義一氏)の顔も見える。
「6月から水揚げを再開する。」残って使えそうな岸壁の活用や今後の整備で、かつお船が同時に4隻水揚げ可能、当初は1日あたり約50トンくらいが限度かもしれないが、8月くらいまでには300トンの水揚げ対応をめざす。
製氷と出荷・選別場所の確保はできた、復旧できていない電気の代わりに発電機も用意するという。残る心配は燃油と活餌(イワシ)の供給か。
水産の町気仙沼は宮崎県のかつお一本釣り船とも結びつきが強い、「かつお船の水揚げが復興の希望」そして「俺たちが気仙沼に行く」両者の思いが一番の復興への道、必ず復興できる。
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